大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和50年(オ)294号 判決

上告人

吉井昭夫

右訴訟代理人

小倉一之

被上告人

佐伯崇裕

被上告人

佐伯光信

右両名訴訟代理人

佐々木曼

外一名

主文

原判決中上告人の被上告人佐伯光信に対する請求に関する部分を破棄し、右部分につき本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

その余の上告を棄却する。

上告を棄却した部分に関する上告費用は、上告人の負担とする。

理由

一上告代理人小倉一之の上告理由第一点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

二同第二点について

自動車の所有者から依頼されて自動車の所有者登録名義人となつた者が、登録名義人となつた経緯、所有者との身分関係、自動車の保管場所その他諸般の事情に照らし、自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場にある場合には、右登録名義人は、自動車損害賠償保障法三条所定の自己のために自動車を運行の用に供する者にあたると解すべきである。

原審の適法に確定した事実によると、被上告人光信は、昭和四四年三月ころ、本件自動車の所有者である被上告人崇裕から、その所有者登録名義人となつていることを知らされ、これを了承するに至つたのであるが、被上告人崇裕は、被上告人光信の子であり、当時満二〇才で、同被上告人方に同居し農業に従事しており、右自動車は同被上告人居宅の庭に保管されていたというのであり、右事実関係のもとにおいては、同被上告人は本件自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上のその運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場にあつたというべきであつて、右自動車の運行供用者にあたると解するのを相当とする。

ところが、原判決は、被上告人光信は右運行供用者にあたらないとして、その余の判断をすることなく上告人の同被上告人に対する請求を棄却しているのであり、右判断は、前述するところに照らし、違法であることを免れず、その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。

三以上のとおりであるから、原判決中上告人の被上告人光信に対する請求に関する部分は破棄を免れず、右請求について更に損害額その他審理を要するので、右部分について本件を原審に差し戻すのを相当とし、上告人の被上告人崇裕に対する請求に関する部分については上告を棄却するものとする。

よつて、民訴法四〇七条、三九六条、三八四条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(高辻正己 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 江里口清雄)

上告代理人小倉一之の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 原判決の判断には判決に影響をおよぼすことが明らかな採証法則違反、法令の解釈適用の誤がある。

一、原判決は、本件自動車は「所有者登録名義は被上告人崇裕の父光信であるが、被上告人崇裕がレジャー用として買い求めたが、同崇裕は当時満二〇才で銀行取引もなく、かつ信用もなかつたため、同光信の了解を得ずに同光信名義で買受けたので、その所有者登録名義人は同光信となつていたこと、同光信は同崇裕と同居して同一世帯で主として農業に従事していたが、本件自動車の購入代金は自ら働いて得た金員によつて支払つており、同光信は支出していないこと、同光信は同崇裕に自分の名義を使用することを許していなかつたこと、本件自動車は被上告人らの居宅の庭の一部に保管されていたが、同光信は運転免許証を有していなかつたがので、自ら運転していたことも、又、同乗したこともなく、専ら同崇裕が自由に使用していて、管理費用なども一切同崇裕が支弁していたということ、本件事故発生も同崇裕が自らの意思で本件自動車に知人を同乗させていた時のものであること、等の事実がある」ので、被上告人光信に運行供用者としての責任がない旨判示する。

二、しかし、原判決の判断は経験則上次の点が誤つている。

1 本件自動車を、被上告人崇裕がレジャー用として買求めたものあるというが、これは被上告人らの供述のみであり、同人らと生活を異にしている上告人には反証の仕様がない。買入当初の目的がレジャー用であつたとしても、本件事故が佐伯家の親しい知人兵頭和子を乗せていたことからわかるように、家庭の用事に使用していたことは推測に難くない。被上告人らの右目的の主張は、原審で故意に作られたものである。

2 本件自動車の購入代金は、被上告人崇裕がすべて支払つたというが、これも又、被上告人らの供述以外に何らの証拠もない。

満二〇才になつたばかりの一人者が、又、親である被上告人光信らと同居して父母の手伝をしていて、西松建設には「アルバイト」程度の仕事しかしていない者が、数十万もする自動車を購入できるはずがない。他に信用がないために、父被上告人光信の名義で購入し、銀行口座も同人のを使用していたのである。単純に被上告人らの供述のみを信用して被上告人光信が全く支出していないと考えることは常識に反する。仮りに一歩譲つて被上告人崇裕がアルバイトでかせいだ金を全部自動車購入資金につぎこんだとしても、同人の食事等の生活費はすべて父母らの負担になつているはずであり、単純に一人前の者が自力で自動車を買うのとわけがちがう、原判決はかかる点を全く無視している。

3 被上告人光信は、本件自動車を購入する際、自己の名義を使用することを許していなかつたという。しかし、これも、同人らの供述にしかすぎない。おもちゃの自動車を買うならともかく、又自動車を父母の目につかないところにかくしておくのであればともかく、被上告人らの庭の一部に保管している数十万円もする本物の自動車であるのに、又、運転するものが自己の一人息子で満二〇才になつたばかりの被上告人崇裕であるのに、親である被上告人光信が何の心配もせずに全く知らなかつたということがありうるであろうか。「後日、やむなく名義使用を承諾した」ことは被上告人光信が自らの責任を認めたことに他ならないと解すべきである。

4 被上告人光信は、運転免許を有しなかつたので運転しなかつたし、同乗もしたことはないという。しかし、息子が自動車を運転している時に父母が全く同乗したことがないということは、これ又常識に反する。

5 被上告人光信は、管理費用なども一切支弁していないという。本件自動車購入から事故発生までさほど間がないため、特別の「管理費用」等は必要としなかつたかもしれない。しかし、ガソリン代等は必要であり、それは父である被上告人光信が出してやつた(小遣いとして渡したと思われる)と見るのが当然であろう。仮りに、ガソリン代は自動車購入資金があまつていたので、これから出したとしても、生活費等は父母の負担となつているものであるから、前述と同様に自活できる者の支出の態様とは全く異る。

6 本件事故の発生も、被上告人崇裕が自らの意思で本件自動車に「同人の知人」を同乗させていた時の事故であるという。

しかし、右知人(兵頭和子、原審では結婚の為鈴木姓となつた)は、被上告人崇裕の知人ではあるが、佐伯家と親しくつきあいをしている兵頭焼酎店の娘であり(甲第一〇証)、従つて、被上告人光信とも親しい間柄であるものである。かゝる知人を乗せたことは、家の主人である被上告人光信にも無形の利益を生ずるものであり、単純に「被上告人崇裕が勝手にしたこと」と云うのはあまりにも形式論である。

三、原判決の認定は右に述べた様に、著しく形式論である。

前述の事実並びに次の事項を検討すれば、原判決の認定が誤であり被上告人光信が運行供用者であることは明白になると信ずる。

1 本件自動車の買入れ名義、銀行口座名義、等対外的にすべて被上告人光信が名義人である(被上告人らの供述)、(甲第二八号証の一、三、七等)。

2 被上告人崇裕は同光信の長男であり、農業をしている同光信の許に同居し農業を手伝つていた(甲第一〇証)。

3 本件自動車は被上告人光信宅の庭に保管してあつた。

4 本件事故時には、被上告人崇裕は満二〇才になつたばかりで、いわゆる親のすねかじりであつた。従つて、自動車を購入する力はなかつた。仮りに、西松建設のアルバイトの収入で買つたとしても、それは一人前の者の自動車購入の態様と異り、父被上告人が資金援助をしたことと同一である。

5 本件事故に関する交渉はすべて被上告人光信が行い、本件訴訟も第一審においては、同人が実質上一人で遂行した。被上告人崇裕は全く同光信の陰にかくれており、一人では何もしャべらない。

6 農業においては、後継者である息子が農業を嫌つて都会に出ていくのを防止するため自動車を買い与えているのが通常である。被上告人崇裕は、農家である同光信の長男であり、かゝる社会状勢も当然考慮に入れてしかるべきである。

7 被上告人光信は、第一審では、運行供用者であることを素直に認めたが、何故か原審に於てこれをくつがえした。これは第一審においては自ら賠償責任を負うとの意思があつたものであり、この事実も見逃すことはできない。

8 自動車の保有者が責任を負うのは、単に名義人であるということではなく、自動車の運行を支配し、運行により利益を受けるから責任を負うべきであるという。しかし、その運行支配、運行利益については、今日の自動車事故の状況からすれば、抽象的に判断すべく、本件においては、被上告人光信は名義を貸与した以上事故の賠償責任を負うべきことを覚悟していたことがうかがわれ、同人は前述のように有形無形の利益を受けていたものであるから、運行支配及び運行利益の帰属者となるべき者であることは、明白であると信ずる。

四、以上述べた様に、原判決の判断は、被上告人らの主張供述のみを外見的にのみとらえた著しい形式論であり、採証法則違反、法令の解釈適用の誤があるので、破棄されるべきである。

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